シュークリームで乾杯

なんでもないブログです

献血とカニクリームコロッケ

東京にいる。京橋駅という京大と一橋を合わせたような地名のスタバでコーヒーを飲みながら、夜行バスを待っている。

今月2回目の東京だ。2週間前に来た時は出版社の筆記試験を受けた。ダメだと思っていたら受かっていて、その面接が今日だった。面接は散々だった。そんなことないよ、大丈夫だよと慰められたら手に持ったビニール傘で胴体を一刀両断してしまいそうなくらい、散々だった。今、何が散々だったかを書くつもりはない。察してください、そういうこと誰にでもあるでしょう。

最悪な面接を終え(面接官は多分いい人たちでした)、時計を見るとまだバスの時間まで8時間もあった。いつもならやれ服屋だ、やれカフェだ、やれお土産だと忙しなく動き回るところだが、少しもそんなきもちになれない。おじいちゃんおばあちゃんに、P.ワイズベッカーがパッケージをデザインしたとらやの水羊羹を買った。ルルメリーで彼女にマカダミアとヘーゼルナッツの、花柄のパッケージがかわいいクッキーを買った。そこで力尽きた。ルルメリーがあったビルの屋上庭園に休憩のつもりで腰を下ろしたら、立てなくなってしまった。東京駅のすぐそばにあるのに、都会の中で取り残されたように切り取られたその空間で、うまくいかない自分の人生のことや東京のことをぼんやりと考えていた。遠くの建設中のビルに小さな人影が見えて、落ちないかな、と思っていた。

これ以上ここにいるのはまずい気がして、あてもなく銀座の街を歩いていたら、ふと、今自分には「1千万円分の不幸」がふりかかっているのではと思った。それなら宝くじで確かめるしかない。西銀座のチャンスセンターで、ネコがプリントされたスクラッチを2000円分買った。チャンスセンターのおばさんが当たるといいですね、と言って、ほんとうにそうだと思った。でも、私の不幸は、600円だった。600円分の不幸で物思いに耽っていたさっきの自分を思い出して少し可笑しくなった。あの時の自分の上にもし、【600円分の不幸】という表示が出ていて、それを通りかかった人たちに見られていたらと思うと恥ずかしくて仕方ない。

今度は600円っぽい不幸感を出しながら歩いていると、献血の看板が目に入った。献血豊田市駅でふくよかなおじさんが大声で呼びかけている時は気にも留めなかったのに、なぜか「献血をしよう!」というきもちになっていた。いいことをして験担ぎをしたかったのかもしれない。暇つぶしにちょうどいいと思ったのかもしれない。何にせよ、私は人生で初めての献血をした。慣れた手つきで針をするする差し込む看護師さんたちの手つきや、わたしの血液でパンパンに膨らんでいくパックが新鮮で、楽しかった。

献血の時、お医者さんにこの後夜行バスで帰ることを伝えたら、「初めての献血で倒れる人もいるから、ちゃんと夜ご飯食べてね」と言われ、気になっていた洋食屋さん「あづま」に行った。不思議なことに、お店に着いた時にはすっかり元気になっていた、血抜かれたのに。もしかしたら悪い血が抜けてくれたかもしれないので、これからどうしようもなくうまくいかない時は献血に行こうと思った。もう元気だから、精のつくものを食べようと思い、カニクリームコロッケとハンバーグのセットを頼んだ。どちらも「わたしの血になっている!」と感じる確かなおいしさで、じっくり噛んで味わった。

 

この日の夜のことを、わたしは一生忘れないと思う。忘れたくないからこうして書いている。
最悪な気持ちになったこと、そこから立ち直ったこと、それら全部、故郷から遠く離れた街で1人で過ごした時間であること。
今日1日は、わたしの人生の縮図のようだった。憧れからはほど遠いわたしの人生の。
それでもわたしはこうして生きていきたいと強く思えた1日の終わりに。

 

20200624