20210801
八広でも蝉がないている。八広に蝉はいないと思っていたけれど。
8月1日、今日は朝から洗濯をした。昼はお米を4合炊いて1合でガーリックライスもどきをつくり、3合を冷凍した。
たまっていたZINEを読んだ。やっぱりZINEは思想が色濃く出ていていいね。「私たちが流れを作っていくしかない」という一文を見つける。流れ。政治的なものか、思想的なものか、人類全体まで及ぶのか。流れを作ることは日本人に向いてないのではと一応結論をつけ、出かける準備をする。
ZINE、最近買い漁っていて、好きなものと好きじゃないものの区別を持てるようになったと思う。わかなさんのは好き、あみさんのはすごく好き、花さんのは申し訳ないけど好きじゃない。せいじくんのは好き。
ZINE、最近買い漁っていて、面白いと思う反面、プロの作る雑誌はやっぱりすごいなと思う。「あ〜これはプロですね。」って誰が見ても理解できる創作活動って、顔が見えない方が近くにあるもんだ。
100均に行く、いつも行ってたお店よりデカくて近いクールな店を見つけた。
スタバに行く、スマトラを250g買う。スマトラのキーワードは何だっけか、EarthyとHerbalだった気がする。1番好きだった。ついでにコーヒーを買って店内で『薬を食う女たち』を読み始める。やばい本だった。人を出口のない迷路に放り込むタイプの本ですこれは。出口らしきものが見えない。「薬を食う」登場人物たちは、生きるための栄養としてそれを摂取していた。「煙草の火は紙を喰う」と言っていたのは誰だったか、煙草と薬のことをふと考える。文字列は途切れることない道となり、招かれるままに進めば進むほど時間が手元からこぼれ落ち、細胞が深く呼吸をする。焦りはない。境界線は曖昧になり、曖昧さが加速するほどに自らの心体を強く意識させる。どこまでも飛べる気がするが、やはり羽はない。それでもあなたは、ヒーローなのだろうか。
気づいたら薄暗くなっていた。
久しぶりに『黄金湯』にゆく。たっぷり1時間使って出る、銭湯はいい。いい大人の男たちが肩まで湯に浸かり、目を閉じるわけでもなくぼーっとしている。何を考えているのか、興味はない。日曜の昼に、わたしと同じように銭湯へゆこうと思った人がこれだけいる。それだけでいい。
帰ってきて『おおかみこどもの雨と雪』を観た。観ながらタバコをゴミ箱に捨てた。今日100均で買ってきた灰皿も捨てた。タバコ、「吸ってるの意外だね」って言われて得意げになっていたのが、急に馬鹿らしいことだと認められた。普通に自分には似合わないと思った。どうにもならなくなった時、コンビニの駐車場で蹲って吸い、むせるくらいがわたしにはちょうどいい。
「どこで間違えた?」考えることが癖になっていた。
「あの時こうしてたら」口にするだけであの場所に戻る。
八広でも、わたしはまだ高速道路沿いで生きていたあの頃と同じように、でかいショッピングモールでいつでも何かを探しているのかもしれない。場所や環境が変わったところで扉は固く閉ざされたまま。人間はそれほど簡単に変われず、同時に絶え間なく変わり続けている。明日はでかい映画館で『竜とそばかすの姫』を観る。
体はグラコロでできてはいない
小学生の頃グラコロが好きだった。
親に食を強請ったことは無かったけど、グラコロだけは毎冬しつこく「食べに行こ!」って言ってた。
あの頃は時々土日に食べるマックは特別なものだったし、エビフィレオとかナゲットとか、大事に大事に食べてた気がする。月見バーガーはずっと嫌い。
今日、久々にグラコロを食べたんだけど全然何も感じなかった。最後に食べたのがいつかは覚えてない。多分10年ぶりくらいだったから、少しノスタルジーを期待してたけど、なんにも感じなかった。思えばグラコロを好きだった自分については覚えていても、どんな味だったかは思い出せない。あんなに好きだったのに、体が覚えてないことがちょっと怖かった。向かいの席で、ティガーのパーカーを着た小さな女の子がおいしぃ!と言いながらポテトを頬張っている。あの子は今日食べたポテトをいつまで覚えているのだろう。
体が覚えてる味、いつまでも大切にしたい。
サービスエリアは人生の休憩所
献血とカニクリームコロッケ
東京にいる。京橋駅という京大と一橋を合わせたような地名のスタバでコーヒーを飲みながら、夜行バスを待っている。
今月2回目の東京だ。2週間前に来た時は出版社の筆記試験を受けた。ダメだと思っていたら受かっていて、その面接が今日だった。面接は散々だった。そんなことないよ、大丈夫だよと慰められたら手に持ったビニール傘で胴体を一刀両断してしまいそうなくらい、散々だった。今、何が散々だったかを書くつもりはない。察してください、そういうこと誰にでもあるでしょう。
最悪な面接を終え(面接官は多分いい人たちでした)、時計を見るとまだバスの時間まで8時間もあった。いつもならやれ服屋だ、やれカフェだ、やれお土産だと忙しなく動き回るところだが、少しもそんなきもちになれない。おじいちゃんおばあちゃんに、P.ワイズベッカーがパッケージをデザインしたとらやの水羊羹を買った。ルルメリーで彼女にマカダミアとヘーゼルナッツの、花柄のパッケージがかわいいクッキーを買った。そこで力尽きた。ルルメリーがあったビルの屋上庭園に休憩のつもりで腰を下ろしたら、立てなくなってしまった。東京駅のすぐそばにあるのに、都会の中で取り残されたように切り取られたその空間で、うまくいかない自分の人生のことや東京のことをぼんやりと考えていた。遠くの建設中のビルに小さな人影が見えて、落ちないかな、と思っていた。
これ以上ここにいるのはまずい気がして、あてもなく銀座の街を歩いていたら、ふと、今自分には「1千万円分の不幸」がふりかかっているのではと思った。それなら宝くじで確かめるしかない。西銀座のチャンスセンターで、ネコがプリントされたスクラッチを2000円分買った。チャンスセンターのおばさんが当たるといいですね、と言って、ほんとうにそうだと思った。でも、私の不幸は、600円だった。600円分の不幸で物思いに耽っていたさっきの自分を思い出して少し可笑しくなった。あの時の自分の上にもし、【600円分の不幸】という表示が出ていて、それを通りかかった人たちに見られていたらと思うと恥ずかしくて仕方ない。
今度は600円っぽい不幸感を出しながら歩いていると、献血の看板が目に入った。献血。豊田市駅でふくよかなおじさんが大声で呼びかけている時は気にも留めなかったのに、なぜか「献血をしよう!」というきもちになっていた。いいことをして験担ぎをしたかったのかもしれない。暇つぶしにちょうどいいと思ったのかもしれない。何にせよ、私は人生で初めての献血をした。慣れた手つきで針をするする差し込む看護師さんたちの手つきや、わたしの血液でパンパンに膨らんでいくパックが新鮮で、楽しかった。
献血の時、お医者さんにこの後夜行バスで帰ることを伝えたら、「初めての献血で倒れる人もいるから、ちゃんと夜ご飯食べてね」と言われ、気になっていた洋食屋さん「あづま」に行った。不思議なことに、お店に着いた時にはすっかり元気になっていた、血抜かれたのに。もしかしたら悪い血が抜けてくれたかもしれないので、これからどうしようもなくうまくいかない時は献血に行こうと思った。もう元気だから、精のつくものを食べようと思い、カニクリームコロッケとハンバーグのセットを頼んだ。どちらも「わたしの血になっている!」と感じる確かなおいしさで、じっくり噛んで味わった。
この日の夜のことを、わたしは一生忘れないと思う。忘れたくないからこうして書いている。
最悪な気持ちになったこと、そこから立ち直ったこと、それら全部、故郷から遠く離れた街で1人で過ごした時間であること。
今日1日は、わたしの人生の縮図のようだった。憧れからはほど遠いわたしの人生の。
それでもわたしはこうして生きていきたいと強く思えた1日の終わりに。
20200624